金欠主婦のオタク聖活

専業主婦の鴻ノみやが、少ないお小遣いで目一杯楽しめる趣味を探しているなんでもない日常

夫婦円満の秘訣は、お互いを肯定する事だと思う

夫婦に限った話だけれど、他者を意味もなく否定するのは、あまりよろしくない事だと思う。
それは、人格だったり、趣味だったり、生き方だったり。その人には、その人なりの理由があってそうしているのかもしれない。もちろん、犯罪的な事はいけないし、他人を傷つけるような行為だってするべきではない。それらを否定する事は、意味のあることで、否定と言うよりは諭す、が正しい気もする。

実家では常に否定されていた気がする

私は実家で生きていた時、まるでロボットのようだな、と感じる事が多かった。
感情を持ってはいけないと、言われているような気がしたから。別に、家族から「感情を持つな」と言われていたわけではない。感情を表に出さなかったら出さないで、怒られていたわけだし。
全て、とまではいかないにせよ、私の表現することを、家族はいちいち否定してきていた。
私が怒れば、「それはお前が悪い」「お前が黙っていればいい」と言われる。それは当然、私が理不尽に怒った事もあっただろうけれど、そうでない事だってあった。私は怒ってはいけないのだと、そう言われているような気がした。
私が泣けば、「それくらいで泣くな」「すぐ泣く。面倒くさい」と言われる。別にこっちだって、泣きたくて泣いているわけじゃない。意味もなく涙があふれて止まらない日が、何度も何度も続いて、その度にうるさいだとか、面倒くさいだとか言われた。だから私は、声を出して泣いてはいけない、人前ではない手はいけないのだと思った。
私が楽しそうにすれば、「そんな事よりもやる事があるだろう」「そんな事の何が楽しいのか」と言われる。趣味は自由だと思っていたし、その趣味で家族に迷惑を掛けた覚えはなかった。私は楽しんではいけないし、趣味を持つべきじゃないのかもしれない、とまで思った。

そうしている間に、少しずつ少しずつ、自分が自分でなくなっていくような気がして怖かった。
自分には実は生きている意味なんかひとつもなくて、ここにいるのは、特別自分でなくてもよいのではないか、と。自分の好きな事をするとき、私は部屋に閉じこもる事が多かったし、あまりに家族と話したくなくて、食事以外の時間は、殆ど自室で過ごしていた。
家族といても、まるで独りきりのような感覚を覚えて、寂しくて寂しくて、仕方なかった。

変わったのは、主人と同棲をはじめて

主人と同棲をはじめた時、主人は私の事を抱きしめて「今までよく頑張ったね。偉いよ」と言ってくれた。その感覚が、私にはいまいち掴めなくて泣くことができなかったのだけれど、主人は私が否定され続けていた事を知っていて、そう言ってくれたのだと思う。
私は昔から情緒がかなり不安定なので、急にイライラし出したり、急に泣いたりする事が人よりも多い。実家に居た時はその度に怒られていたけれど、主人はそれらに決して怒る事はしない。イライラしていれば「どうしたの?何かあるなら話を聞くよ?」と言ってくれるし、急に泣き出せば「大丈夫大丈夫。いっぱい泣いていいよ」と言ってくれる。
支離滅裂な話もちゃんと最後まで聞いてくれるし、理解しようとしてくれる。

一緒に暮らして、もう半年にもなるけれど、主人は毎日「ありがとう」と「お疲れさま」を言ってくれる。これはたぶん、当然の事ではないのだと思う。現に私の両親には、そういう会話は無かったし、私に対して家族がそう言ってくれたこともなかった。それはたぶん、私も同じで、今まで家族に対して「お疲れさま」「ありがとう」なんて、滅多に言った事がない。それは、主人は毎日言ってくれるのだ。
だから私も自然と「お疲れさま」と「ありがとう」を言えるようになってきている気もする。元々「ありがとう」よりも「ごめんなさい」という比率が多かった私にとって、それは大きな成長なんだと、主人は言ってくれる。

私にとって、家事は当然の義務で、私の仕事で、私がやるべき事だと思っていた。息をするのと同じくらいの義務なんだと。だから感謝されることはないし、料理に対しても感想なんか求めてはいけないんだと思っていた。
けど主人は、小さな変化ひとつに気付いて「今日はこれをしてくれたんだね。すごく嬉しいよ」と言ってくれる。私がやっていること一つ一つに、必ず何か一言添えてくれる。だから私は、もっと頑張ろうと思えるし、もっとたくさん喜んでもらえるようにと考える。そうすることで主人も喜ぶし、仕事から疲れて帰って来て癒されるとも言ってくれる。
ずっと、自分の生きている意味なんかないんじゃないかと思っていた私が、いつの間にかこの人の為に生きなきゃいけないんだ、と思えるようになっている。

私は主人の趣味を否定しないし、主人も私の趣味を否定しない。むしろ応援してくれているくらいだ。
元々、同じような趣味を持っているので肯定的になれるのもあるかもしれないけれど。もちろん、肯定しているからと言って、全ての趣味に対してつぎ込むわけではなく、お金の面や何らかの問題がある時は、まず話し合って、それをするには何が必要か、どのくらいのお金が、本当にそれは必要なのかを話し合う。全部を肯定して実行するのではなく、けれど否定して駄目だと言うわけでもなく、ちゃんと話し合って決める。
だからこそ、自分の技量やお金に見合った趣味を楽しく続けられるようにもなった。

主人が仕事をしてくれている間、私は家や衣服を綺麗にしたり、食事を用意したりする。
そうすることで、主人が帰ってきた時には綺麗な部屋と、暖かい食事があり、主人は帰って来てよかったと思える。私は、主人がそう思ってくれるから、明日はもっと家事を頑張ろうと思える。主人も同じように、暖かい食事があるから、早く帰れるように仕事を頑張ろうと思ってくれていると言ってくれる。
私がそうであるように、いつか私自身が主人の生きる意味になれたら良いな、とそう思う毎日を送れている。

終わりに

まだ半年じゃないか、と言われるかもしれませんが、こうして毎日の習慣になることで、何年も何年も、自然と続けられていけるんじゃないかな、と思うんですよね。
そして相変わらず、支離滅裂な文章です。書いていけばいくほど、書きたいことが増えてよくわからなくなってしまうのは、ブログを書くにあたってあんまりよくないですね(笑)

まあ要は、趣味も仕事も家事も否定しないでってことです。アドバイスするのと否定するのは違いますから、掃除や料理についてのアドバイスは、結構な頻度で貰ってます。でも決して不味い。できていない。って言うのではなく「これはもう少し濃くしたらいいね」「これはこれとは合わないからこうしたらいいね」「次はこの辺も手を付けられるといいね」みたいな感じ言ってくれるので、とても助かっています。
ほんと、毎日感謝の日々ですし、主人もそれは同じみたいですね。
お金の面では苦労していますが、それをカバーするくらいの温かい家庭なので、お金がなくても、毎日頑張れます。お金がないと生きていけないとは言いますが、私はこういった愛情もないと、たぶん生きていけないと思うんですよね。

喧嘩する時はして、言い合うときは言い合って、でも謝って、感謝して、褒めて。そうやって、絆は深まっていくんじゃないかと思います。

最近主人に、エッセイ漫画的なものを描いたらいいんじゃないか?と言われているので、ちょっとその辺も頑張ってみようかなと思う、鴻ノみやなのでした!